映画「嘘を愛する女」が1/20(土)に全国公開となります

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ROBOTの新卒採用担当です。

 

1/20(土)にROBOTが制作した映画「嘘を愛する女」が全国公開となります。

脚本・監督は、CM界で活躍してきた中江和仁が務めました。『夫は誰だった?』というセンセーショナルな新聞記事の見出しに着想を得た本作は、新たな才能の発掘を目指して開催された『TSUTAYA CREATORS’ PROGRAM FILM 2015』にて初代グランプリを勝ち取った企画です。ヒロイン・川原由加利は長澤まさみ。小出桔平と名乗る由加利の恋人には、高橋一生。更には、DAIGO、川栄李奈、黒木瞳、吉田鋼太郎など豪華俳優陣が脇を固めます。

<あらすじ>

世の中の人が“憧れの女性”として描く理想像そのものである、川原由加利。由加利はキャリアウーマンとして第一線を走りながらも、研究医で面倒見の良い恋人、小出桔平と同棲をしており、充実した生活を送っていた。ある日、警察が由加利の元に訪れ、桔平がくも膜下出血で倒れたこと、そして衝撃的な事実を告げられる。桔平の所持していた身分証などは、職業はおろか、名前までもがこの世に存在しない「嘘」であったのだ。桔平の本当の姿を知るため、由加利は探偵の海原匠に捜査を依頼する。やがて見つかった700ページにも及ぶ桔平が書きとめた小説。そこでは誰かの故郷を思わせるヒントと、幸せな家庭の姿が綴られていた。なぜ桔平は全てを偽り、嘘をつき続けたのか。由加利は「名もなき男」の正体にたどり着くことができるのか…

<公式サイト>

http://usoai.jp

これまでROBOTが制作してきた作品の中でも、新しいラブストーリー作品となっております。ぜひ劇場で映画「嘘を愛する女」をお楽しみください。

社員インタビュー エディター 稲本真帆

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していた社員インタビューの掲載、今回で第4弾になります。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、1999年度にROBOTへ入社し、現在CMやWEB広告、映画などのさまざまな映像制作にてエディターとして活躍している稲本真帆です。

2016年にROBOTが制作した短編映画「そうして私たちはプールに金魚を、」でもエディターを務め、第33回サンダンス映画祭短編部門にてグランプリを受賞しています。

inamoto

◻︎撮影3日、編集2ヶ月

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

父の趣味で、家に8mmがあるなど、小さいころから映像に触れていました。
家でビデオデッキを2台つないで、編集もしていました。
中学までは運動部だったのですが、高校では放送部に入り、その中でアナウンスと、映像作品を作るということを経験したのがきっかけかもしれないですね。

大学は、日本大学芸術学部放送学科に「アナウンス」専攻で入りました。授業では映像やラジオなど、様々なジャンルの放送に関して学びました。アナウンスを専攻していましたが、作るのも楽しくて、秋に開催される大学の芸術祭で上映するための作品を、夏休み中に自ら脚本・監督・撮影を担当して制作しました。撮影は3日ほどで終わっているのに、編集は繋ぎ直す度に見え方変わっていくのが、面白く、結局2カ月間引きこもっていました。同じカットばかりを何度もつなぎ直していたんですが、やる度に印象が変わって「こんなちょっとしたことでこんな変わるんだ」というのが一番楽しかったところです。

就活では、アナウンサーの試験も受けましたが難しく、その他に映像制作会社を受けました。映像制作会社は、広告代理店に勤めていた知り合いの紹介で何社か受けましたが、その知り合いから映像のどんな仕事をしたいかを聞かれた際に「編集」と答えると「編集所はタバコの煙でいっぱいで、皆暗い所にこもってやるから女の子は本当にお勧めできないから、やめたほうがいいよ」と言われました。
何かを作りたいという思いで各社受けましたが、当時は就職難で内定はもらえず、ROBOTからはデスク職で内定をもらい、入社しました。

◻︎19時からの編集

編集という仕事との出会いはどのようなものでしたか?

デスクの仕事は、オンエアプリントの発注や、制作部のスケジュール管理などしていました。
入社して半年後に、オフィスが移転となり、そのタイミングで1つAVIDの編集室が新しくできました。
当時ROBOTは所属するディレクターのためにAVID社主催の講習会に申し込んでいましたが、スケジュール的に参加できるディレクターが少なく、講習会参加枠が空いていたので、希望して行かせてもらいました。
AVIDの編集室は、基本的にはフリーランスのエディターが出入りして作業をしていましたが、編集室が空いている日も多くあったので、そうした日はデスクの仕事が終わった、18、19時ころから編集室を借りて、AVIDを触っていました。
私が触っていると周りは「AVID触れるの?」と驚きました。 当時は誰も編集機をいじれず、VHSの編集機を使っていました。AVIDを触りはじめた当初は広告の資料映像の編集など細かい作業を頼まれるようになりました。

そうした中、デスクの仕事は続けていました。朝10時から18、19時まではデスクの業務を行い、その後、編集をして、翌日また10時に出社してというサイクルでした。編集はやりだしたら社内に仕事はいっぱいありました。
デスク業務と編集を兼任して行うというのは、忙しかったですが、面白かったです。楽しくて、とにかくやりたかったから。やりたいからこそ、デスク業務はちゃんとしなければ思い、デスクと編集の両方を頑張ってやっていました。
入社して3年経ったころ、デスク職の人員が増えるタイミングで、社内で編集を専任ですることが認められて、デスクとの兼任ではなく編集を専門で行うようになりました。

編集の仕事はフリーランスでよくROBOTと仕事をしていたエディターの方々から学びました。編集を見学したり、自分が分からないところをメモして「これができないんですけど」と質問していました。皆さん、優しく教えてくれました。

エディターという仕事をやっていこうと覚悟をしたのは、26歳の頃で、20分ほどのショートフィルムを担当したときです。女性ディレクターからの依頼で、自分が担当するには、「まだ早いかな」と思っていましたが、やりたい気持ちは強くあって、ディレクターから「やれる?」と聞かれたときに「やります!」と即答していました。担当したときに、多分周りには迷惑掛けるけど、エディターとして「ちゃんとやらなきゃ」というような自覚が芽生えました。

◻︎頼ってくれる

今はどのような仕事をしていますか?またどのように仕事をしていますか?

一番多いのはTVCMです。その他にWEBムービー、ミュージックビデオ、自社の映画作品のメイキング映像や本編の編集に関わることもあります。
仕事で使用する編集ソフトは日々進化してますが、とにかく早く覚えて、自分の手足として、作業内で引っ掛からないように早く吸収することを心掛けています。そうすることで仕事の内容の話にちゃんと頭が向くようなります。そして作るときはあんまり、頭を固くし過ぎず、柔軟にするというのは、心掛けていますね。
編集をはじめたころは、なかなか自分の思いどおりには作れないんだと感じることはありました。それは自分が未熟だった部分も含めてですが。特にCMでは最終的な判断するのは広告主なので、私はこっちがいいなと思う編集でもOKがもらえないこともあります。
そのときは、なるべく最終的な判断をする方の脳みそになろうとします。何故この人はそう思ったのかを考えます。その人の意図を汲んだうえで、「こういう編集はどうか」と提案もできるようになります。自分の良いなと思う編集にOKがでない時も、前向きに捉えて別の提案をできるようにしています。

編集室では映像の監督やクリエイティブ・ディレクター、広告主の様々な意見が出ることもありますが、エディターとしてどのようにしていますか?

私は決断する立場ではないので、常に「監督が言っていることであればこういう編集がいいだろうな」「クリエイティブ・ディレクターが言っていることであればこういう編集がいいだろうな」と考えています。その中に私はこれになればいいなと思っている編集もあります。何かを決断をするわけではないですが、それぞれの要望に対応できるようにしつつ、自分が推す案を隠し玉として用意することもあります。

編集の仕事のどんな所が魅力だと感じていますか?

監督や一緒に仕事をする人たちが編集のパートに関しては、凄く頼ってくれるところが面白いです。全ての行程を俯瞰で見ているわけではありませんが、編集の視点から言えることもあります。そうした知識やスキルを自信を持って提供して皆が信頼してくれると嬉しいです。

◻︎映像の中身を意識して作れるチーム

今後の目標を教えてください。

個人としては長年やってきたので、ジャンルとしてもいろんなことに挑戦できて、一段落したところです。今年は2名の新人が入り、編集部門の人数も増えるので、ROBOTの編集部を、ちゃんと育てていきたいというのが目標です。
それぞれのエディターが個性を持って、やりたいことに挑戦できて、技術的にも新しいことに対応して、プロダクションの内部の編集部として、ただのオペレーターではない、映像の中身を意識して作れるチームをつくりたいなと思っています。

◻︎前に進むことを考える

エディターを目指す人にアドバイスを

結局、一歩を踏みださないと何も始まらないから、やりたいと思ったら自分から進むことです。特に会社に勤めると、言われるがまま仕事をすることもあると思いますが、その中でも自分で発信をすることが大事です。ただ言いたいことだけを言っても認められません。自分の仕事の責任は果たして、自らのやりたいことに向かって、どう動くかを考えながら行動してください。それがもし駄目だったら駄目で、また違う道考えて、とにかく前に進むことを考えてほしいなと思います。

スクリーンショット 2018-01-15 17.56.58

2017年仕事納めのご挨拶

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ROBOTの新卒採用担当です。

 

タイトルの通り、ROBOTは本日12月28日が仕事納めとなります。

今年も残りわずかとなりました。

就活生のみなさんは、これから就活本番に向けてとても忙しくなるかと思われます。

外気もとても冷え込みますから、ご自愛ください。

そして、よい就職活動ができることを祈っております。

 

新年の始業は1月5日からとなります。

最後になりますが、来年もよろしくお願いいたします。

みなさん、よいお年をお迎えください。

 

C6m3BlrUwAArS3d.jpg-large

 

12/28「ROBOT 会社訪問会 2019」のお知らせです

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ROBOTの新卒採用担当です。

 

ROBOTでは「会社訪問会」を実施しています。

既に定員となってしまった回もあるため、12月28日の夕方に追加の回を決定しました。

ROBOTで働くってどういうことだろう、どんなオフィスで働くんだろう、

「リアルなROBOT」について、みなさんに知ってもらう為の会です。

ROBOTのことだけでなく、みなさんが就活に対して抱えている不安も疑問も、先輩社員や採用担当と話してみませんか?詳細は以下になります。

 

「ROBOT 会社訪問会 2019」

・追加開催日時

12月28日(木) 16:30〜18:30

※1月以降も開催を予定しております。順次クリ博でお知らせします。

・開催会場 株式会社ロボット 恵比寿本社(渋谷区恵比寿南3-9-7) http://www.robot.co.jp/company/img/map/robot_ebisu.pdf

・定員   15名(先着順)※定員少数の為、複数回のご応募はご遠慮ください。

・申込方法 クリ博ナビ2019内の「説明会・セミナー」からお申込みください。

・持ち物  筆記用具

・服装   自由

・交通費  交通費は支給いたしません。

・所要時間 2時間程度(予定)※多少前後する場合があります。

 

申込はこちらから→クリ博ナビ2019

ぜひ、ご参加ください。

社員インタビュー プロデューサー 長谷川晴彦

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回で第3弾になります、ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していました、社員インタビューを紹介したいと思います。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2000年度にROBOTへ新卒で入社し、現在プロデューサーとして活躍している長谷川晴彦です。

2016年ROBOTが制作した連続テレビドラマ「螻蛄 疫病神シリーズ」でプロデューサーを務めるなど、映画やドラマのプロデューサーとして活躍しています。

hasegawa

□ 一本の映画が魂を震わせた

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

僕が小学校3年生の時に、自宅の近くにレンタルビデオ店がオープンしました。両親の趣味が映画鑑賞だったので、週末になると両親にそのビデオ店に連れて行かれました。様々な映画のパッケージを手に取り、これはどんな映画なのだろうと想像を膨らませるのが好きでしたね。勿論、映画を観るのも大好きで、毎週末が来るのが待ち遠しかったのを覚えています。両親とは様々な映画を観ていて、ラブシーンや暴力シーンなどがある映画も一緒に観ていましたね。今、自分が観ているのは何だかいけない映像な気がするけど、親が何も言わないから、いけなくないのかも?なんて感じで、様々な映画に接していたというのが僕のベースにあります。
中学入学以降、映画はあまり観なくなりました。他に色々と興味が湧いていたもので。ただ、高校一年生の時に自宅のテレビで流れていたMTVのミュージックビデオを見て、衝撃を受けました。「Nirvana」や「Pearl Jam」、「Lenny Kravitz」のミュージックビデオには鳥肌が立ちましたね。

その後、一般の大学に進学しました。自分で映像を作る発想はゼロでした。大学に特に目的も無かったので、「さてさて、どうしたもんかな」と考えていた矢先に視聴覚室で映画『ニュー・シネマ・パラダイス』をたまたま観ました。すると、なんだか知らないけどポロポロ涙がこぼれるんです。静かな視聴覚室に僕の嗚咽が響きまくったようで、心配した友達が近寄ってくる始末でした。今でも、なんであんなに泣いたのかわかりませんが、ただひとつわかったのは、これが「魂が震える」ということでした。この時に「映画には底知れぬパワーが宿っている」と痛感し、自分も誰かの魂を震えさせることが出来るかもしれないと思い、自主映画を制作し始めます。映画監督を目指したのです。
主な活動の場は、大学の映画研究会でした。8ミリフィルムで撮影して、編集をして、自分の作品を制作することは非常に楽しかったですね。大学四年間で数本制作しました。しかし、PFFを始め、様々な映画祭にそれらの作品をエントリーしましたが、箸にも棒にも引っかかりませんでした。
夢中になっていた分、失望は大きかったですね。今思うと本当に早い決断でしたが「自分は監督に向いていない」と映画監督の夢は諦めました。
一方で、映画研究会の部長や、文化系サークルを統括する委員長を務めていて、組織を運営することの楽しさや難しさを実感します。この頃から、自分の立ち位置は、プロデューサーに近いのではないか、意外と自分に向いているのではないかと思い、プロデューサーを目指すようになります。

□ 何者でもない自分

就活はどのようにされましたか?

卒業したら、学生時代にお世話になっていた映画監督のもとで、フリーランスの制作進行からキャリアスタートしようと思っていましたが、どうしても気になる会社が一社ありました。それがROBOTです。『Love Letter』や『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大好きだった僕は、エンドロールに出てくるこのアルファベット5文字ROBOTは何だろう?と思っていたのですが、それが制作会社と知って、断然興味を持ちました。調べれば調べる程、ROBOTの社風がカッコイイと思いましたね。そんな折、大学四年生時に映画部としては初めての新卒採用があり、即座にエントリーしました。心底好きな片思いの女の子に告白する感情と同じような気持ちで面接に臨むという訳のわからないテーマを実践し、内定をもらいました。そういえば、面接を受ける前に、なぜ僕がROBOTを好きなのかなんて手紙を当時の部長に送ったことを思い出しました(笑)。

入社して半年間は撮影現場には出ずに、映画の企画打合せや脚本打合せに参加していました。映画が出来る最初のプロセスを目の当たりにすることが出来たのは、本当に貴重な経験で、これを見て現場に出るのと、見ないで出るのとでは、大きな違いがあったと思います。
そして、10月に制作進行見習いとして撮影現場に出ました。右も左もわからない状況で、なぜこんな簡単なことが自分は出来ないのだろうという自問自答の繰り返しの日々。これまでの自主映画の経験というのは何にも通用しない、撮影現場において、自分は何者でもないのだということを痛感しました。
映画の制作部は、基本的にフリーランスのスタッフで構成されています。なので、会社内で先輩社員が後輩社員に教えるというような環境は無く「仕事は盗んで覚えろ」という環境でした。当然、自分で仕事を吸収する必要があったのですが、空気を読む力、物事に対応する力が低かった僕はそうしたことが苦手で、なかなか成長出来ませんでした。

最初の3年は大きな成長も無く過ぎていき、自分でも「本当に駄目だな」と実感していました。社会の厳しさを痛感したのです。そんな中、社会人4年目にフリーランスの制作の方が、ROBOTから僕を2年間預るカタチで面倒を見てくださって、制作現場の「いろは」を叩き込んでくださいました。そこからは、仕事の仕方も少しずつ変わり、遅ればせながら成長出来たと思います。

□ 交通事故

外部での2年間は、ROBOT制作の映画でなく他社が制作する作品に参加しました。ROBOT以外の現場を知ることが出来たのは貴重な経験で、仕事の吸収も高かったと思います。そんな中、ある映画の撮影に参加中、単独の自動車交通事故を起こしてしまいます。
警察の方に、死んでもおかしくないと言われた壮絶な事故でした。事故直後は、一生目が開かない状態と医師に言われて「もうこの仕事も会社も辞めないといけない」と思っていました。幸いにも目は開きましたが、自分への失望が激しく、実家で二週間以上寝たきりの生活をしました。しかし、二週間も過ぎると、布団の中で「このままじゃ終われない」とフツフツと悔しい気持ちが芽生えてきました。そして、一つの決心をします。「絶対この仕事で飯を食う」です。
これがターニングポイントでした。とにかく悔しくて、必ず見返したいという気持ちから、自分に何が足りないのかを何度も考えて、仕事の方法そのものを変えました。

例えば、常に小さなメモ帳を持つようにしました。太もも部分にポケットがついたズボンを買って、そのポケットにメモ帳とペンを入れて、言われたこと、怒られたことを全てメモ。そのメモは毎晩見直しました。書類はそれまでクリアファイルに入れていたのですが、それだとすぐに書類が取り出せなかったり、落ちたりするので、全てパンチで1枚1枚穴を開けて、すぐに見られるようにルーズリーフで管理しました。話し方も変えました。話の要点が分かるように、5W1Hを常に意識しました。
とにかく何が足りないのか、どうやれば上達するのかと常に考えて、死にものぐるいで仕事をしましたね。
今思うと、最初の3年というのは仕事に臨んでいた姿勢が甘かったと思います。それが交通事故で死にかけたことによって、全てが変わり、仕事に対する姿勢が改善されていきました。

□ 一人だけで考えなくてもいい

その後プロデューサーになります―

制作の経験を重ねて、制作担当として外部の会社が制作する大型作品にも呼ばれるようになりました。最初の現場で感じた「何者でもない」と思っていた自分が、ポスターに名前が載るようになり、周囲から信頼されていくようになったのは、大きな喜びでしたね。
2011年に外部での仕事に区切りをつけ、ROBOTに戻ってきたタイミングでとある映画の企画が持ち上がり、プロデューサーとして参加することになります。結局、企画は成立せず流れてしまいます。
そこで困るわけです。プロデューサーになったものの、次の自分の作品が皆無なのです。のんびりしているわけにもいかず、百戦錬磨の先輩プロデューサーとの差別化も図らないといけません。そこで、自分の「ストロングポイント」を作ろうと考えました。当時の映画部を見渡してみると、ゴールデンタイムで放送される連続ドラマは手がけていませんでした。僕は外部の仕事で連続ドラマの制作も担当していたので、これが「ストロングポイント」になるのではないかと企画を立てて、各テレビ局に営業を始めます。連続ドラマから映画に展開していけば良いと考えていたのです。
その中で、最初にROBOTに興味を持ってくれたのがTBSさんでした。そして、企画が採用されて初プロデューサーとして制作したのが『終電バイバイ』です。その後、『安堂ロイド』『家族狩り』とTBSさんとドラマを制作していくことになります。
『終電バイバイ』は、ROBOT社内から企画を募集するカタチでスタートしました。さらに、応募された企画を社内のプランナー数名と揉んでいき、企画を立てていきました。そうした企画の立案方法にTBSさんのご担当者が興味を持ってくださり、最終的に『終電バイバイ』が生まれました。
皆で立てた企画が採用された時は「自分で企画を考えなくてもいいんだ!」と新鮮な驚きがありました。それまではプロデューサーたるもの「企画は自ら考える」と思い込んでいたものですから。この経験は今の自分の仕事のスタイルにも繋がっていき、企画は必ずしも自分だけで考えなくてもよく、様々なネットワークを活かして集めるのもプロデューサーの技量だと思っています。

□ ドラマの魅力にハマる

ドラマと映画の違いや魅力というのはどういったところですか?

まず、制作作業の速さが違います。ドラマは全ての作業を速く行う必要があります。例えば映画は2時間の脚本を1本作りますが、ドラマは1時間の脚本を10本作らないといけません。そして、映画がその2時間の脚本を3〜4カ月間で撮影するとすれば、ドラマは同じ期間で10話分撮影します。さらに、撮影の合間には脚本打合せや編集などの作業も行うため、スピード感が全く違います。
また、ドラマ制作の一番面白いところは、作っている最中に視聴者の感想を聞けることです。それが映画と一番違うところでした。当然、良い反応は嬉しいですし、批判には凹むこともありますが、そうしたライブ感に夢中になり、のめり込んで行きました。

最近は『家族狩り』やスカパー!製作の『疫病神シリーズ』とサスペンスやハードボイルドな作品を制作し続けていますが次にやってみたいものは?―

次に作りたいのは、ラブコメです。そのジャンルの作品を観る側として大好きだからなのですが、ただ、僕のセンスで、視聴者や観客の共感を得るには、相当ハードルが高い気がしていますので、今までとは違う脳の使い方をしないといけないかもしれませんね(笑)。
あとは、家族の話を描きたいです。単純に自分の家族が出来たからですが、夫となり、父となると、見える風景や周囲からの見られ方がだいぶ変わるんですよね。ラブコメにしても、ホームドラマにしても、オリジナル作品でやってみたいです。

どのようにそれを実現したいですか?

とにかく良い作品を作り続けていくということが大事でしょうね。そうすることによって、周りから大きな信頼を得られると思います。その大きな信頼を活かして、自分が本当に好きなことだけを詰め込んだ作品にしたいです。
その作品が、僕にとっての『ニュー・シネマ・パラダイス』のように、誰かにとっての「魂が震える」作品がであったらと思っています。

□ 辞めない覚悟

プロデューサーを目指す人へ

何かをやり遂げる覚悟も必要かもしれませんが、僕が一番大事にしているのは「辞めない」覚悟です。辞めないということも、実はすごい才能だと思います。平たくいうと石の上にも三年ということになりますが、辞めないことには努力も必要です。でも、辞めないと決意してそれを実行することで、色々なことが身に付くと思います。これは僕の仕事上のポリシーの一つでもあります。

スクリーンショット 2017-12-21 19.14.44

社員インタビュー アートディレクター 坪野健二郎

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回も、ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していました、社員インタビューを紹介したいと思います。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2005年度にROBOTへ新卒で入社し、現在アートディレクターとして活躍している坪野健二郎です。

2016年ROBOTが制作したショートフィルム「HOME AWAY FROM HOME」では、ビジュアル・デザイナーを務めるなど、広告・映画・書籍などのグラフィックデザインを中心に、WEB・CMのアートディレクションまで幅広く担当をしています。

 

tsubono

◻︎専用のノートを作って絵を描いていた

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

小さな頃から専用のノートを作って、家で絵を描いているような子供でした。その頃は、職業というものを意識したことはなかったのですが、父が電気工事業という職人をやっていて、その跡を継ぎたいと思っていました。
1994年にJリーグが開幕すると、自分もサッカー選手になりたいと思いましたが、膝を故障するなど、思い通りにいかず、それからは特に何かになりたいという希望はありませんでした。
高校生の時に、京都の歴史や寺院などの造形に興味を持ちました。2年の進路指導の際にそうした興味から建築について学びたいと担任に話したところ、自分が興味を持っている分野は美術であることに気がつきました。それ以来、デッザンを習うなど美大を目指すようになりました。

デザイナーという職業を意識したのは大学に入ってからです。大学3年の時、広告に関する授業を受講しました。そこでは特別講師として、佐藤可士和さん、葛西薫さん、大貫卓也さんなど、名だたるアートディレクター方の講義受けることができ、広告業界やアートディレクターの仕事を知り、興味を持ちました。
就職活動は、広告代理店とデザイン事務所を中心にエントリーしました。ROBOTのことは、大学の求人欄ではじめて知り、ホームページを見て、エンターテイメント色の強い会社だという印象を持ち、受けました。

◻︎思っていた仕事と違う

学生の時のイメージと、実際に入社してからは違いましたか?

想像以上に過酷でした。ハードワークであることは想像していたのですが、それよりも「思っていた仕事と違う」と強く感じていました。
僕が入社した2005年頃は、広告会社出身のアートディレクターの作品が世間で話題となることが多く、入社前は「グラフィックは格好良く作ればいいんだ」と感じていました。それが仕事をはじめて「ただ格好良いものを作れば良いわけではない」ということには気が付きましたが、打ち合わせで話されている内容も、何故そういうことをするのかという理由も全く理解できませんでした。何をやっていいか分からず、何かデザインしても、上司からは「違う」言われるという状態が続き、精神的な大変さがありました。

そうした状況はどうやって乗り越えていったのですか?

入社して、上司や先輩のアートディレクターと仕事を覚えていくなかで、デザインに対する考え方や仕事の仕方を見て、デザインというのは、色々なことを考える仕事なのだということに気が付きました。 技術的な話では、Photoshopの一つ一つの作業を新たに覚え直しました。デザインに関するソフトについては、大学時代に覚えましたが、プロの仕事をするには未熟でした。Photoshopの機能一つの使い方をとってみても、学生の作業とのクオリティーに大きな差があることに気がついた時には、愕然としました。

◻︎仕事を楽しくしよう

仕事を覚えていくなかで、どんなことを学びましたか?

「仕事を楽しくしよう」というスタンスです。自分だけでなく、スタッフやクライアントも一緒に、その仕事自体を楽しく盛り上げるということを基本の姿勢として教わった気がします。たとえば撮影でシリアスな写真を撮るという場だったとしても、眉間にシワを寄せて喧々諤々と挑むということにはしません。シリアスなものでも、みんながドキドキしながら楽しんで撮影できるような雰囲気作りをしています。

そうした経験を経てデザイナーから、アートディレクターになりました―

小規模な案件からアートディレクターとして担当することが増えましたが、当初は自分のアートディレクションがどういうものかよく分かりませんでした。分かったのは最近のような気もします。
クライアントから相談を受けたものを、クリエイティブの視点で、良い方向に導いていく。もちろんビジネスとしても成立させるということを、やり出せるようになってきました。未熟なところはあると思いますが、そうした体験をしてからは、自分のことをアートディレクターと言ってもいいのかなと思うようになりました。

◻︎変わっていく楽しさ、大変さ

仕事の楽しさや、大変さは変わってきましたか?

デザイナー職で入社して、「何をしていいか分からない」という状態でも、デザインをしているうちに、作っていること自体が楽しくなる瞬間がありました。「良いい感じになってきたな」とテンションが上がり、「楽しい」と思える時はありました。
他にも上司や先輩に自分のデザインを褒められたり、クライアントから、自分が作ったものに対する評価をもらえた時が楽しい瞬間でした。

今は、デザインの出来にクライアントが満足することからはじまり、世の中に出て、評価を感じられた時、そして担当した商品が売れるなど結果につながった時に楽しさや嬉しさを感じるようになりました。 アートディレクターになると、クライアントに対する答えの出し方を自分で決める必要があります。デザイナーの時よりも、労働時間は短くなっているかもしれませんが、自分の判断で今後の仕事が無くなるということも起こり得るので、その責任を負うという点で、大変だと感じることがあります。

◻︎プラスアルファを持っていく

デザイナーからアートディレクターになっていく過程でどんな努力をしていましたか?

入社当初からアートディレクターを意識していました。ただ言われたものをデザインするのではなく、自分の考えも示すようにしていました。例えばデザイナーとして、クライアントに提出する際に、アートディレクターから指示を受けたものだけでなく、プラスアルファで自分の案を持っていくことを続けていました。

◻︎悩んでいる

今、デザインという仕事の領域も変わってきています。この先、坪野さんはどんなことで勝負をしていきますか?

正直に言うと悩んでいます。しかし「こうなっていくべきなのだろう」というイメージはあります。今は肩書が曖昧になってきています。アートディレクターは、これまでの「デザイン」に関する責任だけでなく、アートディレクターとして「デザイン」という視点からビジネスを創っていくことが必要だと感じています。

◻︎自分がどうしたいか

デザイナー、アートディレクターを目指す方に―

突き詰めると「自分がどうしたいか」という意思が大切になります。そのためには、例えば、アートディレクターになりたいから勉強をするというよりも、自分らしさを磨くということ、自分は誰が何と言おうと「これが好き」というものを持っておくことが大事だと思います。

昔の自分と比べると、今の若い人の方が、コミュニケーションに関してはプロフェッショナルになっていると思います。昔のAIDMAやAISASと言われた時代から、今はSIPSといわれるようにコミュニケーション自体が変わってきています。TVCMが最も広告で効果があるとされていた時代から、ウェブやスマホでも情報を受け取る時代になって、そうしたものを当たり前に使ってきた世代の感覚というのは信じて良いと思います。またROBOTは例えば上司との仕事の中で感じたそうした違和感や自分の感覚を口にできる環境でもあると思います。

スクリーンショット 2017-12-19 13.36.19