社員インタビュー プランナー・ディレクター 真壁幸紀

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回で第6弾になります、ROBOTの2016年度新卒採用Webページで掲載していた社員インタビューを紹介したいと思います。なお、2016年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2007年度にROBOTへ新卒で入社し、現在映画部で監督として活躍している真壁幸紀です。当時はクリエイティブ部にてプランナー・ディレクターとして活躍していました。

2018年1月13日(土)からテレビ東京にて放送中の土曜ドラマ24「電影少女 -VIDEO GIRL AI 2018-」では、脚本・監督を務めるなど、映画やドラマ、MVや舞台と様々な場面で活躍しています。

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スクリーンショット 2018-01-30 17.37.09■テレビCMのプロダクションマネージャーからスタート

新卒で入社して2年間は、テレビCMのプロダクションマネージャー(PM)を担当していました。PMという仕事は映像制作に必要な要素をほぼ全て経験できるポジションです。とにかくどんな仕事もPMがやります。スーパーマン的な役割です、ホントに。当時は忙しいし、怒られるしで考える余裕もなかったのですが、PMを離れて、色んな仕事を経験するにつれ、PMをやってて良かったな、という瞬間が驚くほど多くあります。

スクリーンショット 2018-01-30 17.37.21■とにかく色んなジャンルの仕事ができる

PMを経験後、ドラマのAD、映画の助監督、そしてディレクターになってからも、ショートフィルム、連続ドラマ、テレビCM、Music Video、ネットムービー、舞台演出などなど、20代で様々なジャンルの仕事を経験させてもらいました。これは間違いなくエンタテインメントを軸に幅広い仕事を手がけるロボットにいたからこそ、出来た事です。

スクリーンショット 2018-01-30 17.37.32■初の劇場長編映画にチャレンジ

今年、初めて劇場長編映画の監督にチャレンジします。スタッフはこれまで一緒に仕事をしてきた方々ばかりが集まってくれて、本当に心強く、とても良い現場になりました。「真壁君の長編ならやりますよ」と言って力を貸してくれるスタッフが周りにいてくれた事は、自分の進んで来た道が間違ってなかったと思える幸せな出来事でした。

 

スクリーンショット 2018-01-30 17.37.41■ロボットは「自分がやりたいことを仕事にできる」会社です

僕は、やりたいことは心に秘めずに、どんどん言ったほうがよいと思います。ロボットは、先輩も上司も社長もちゃんと話を聞いてくれますし、なんでも話せます。ただ、会社ですし、ビジネスですから、何でもかんでもやらせてくれるわけではありません。最終的な判断は会社がします。僕は、映画監督になりたいと言って、入社しました。会社が判断して、最初の配属はテレビCMのPMでした。しかし、入社してからも、映画を作りたいとアピールをし続けました。社内の企画応募に積極的に参加したり、自主で映像を作り、海外の映画祭で賞をもらったり。そんなアピールを続けていたら、少しずつショートフィルムやドラマの演出の仕事が来るようになり、入社8年目で長編映画を監督するチャンスをもらいました。みなさんもまずは入社面接でやりたい事を話してみてください。

スクリーンショット 2018-01-30 17.37.58■プライベートな時間

基本下北沢にいます。芝居と音楽と酒の街。

 

スクリーンショット 2018-01-30 17.38.17■学生の頃

自主映画を作ったり、バンドをやったり、野球したり、スノボしたり、旅行したり。体育会系でもなく、チャラいわけでもなく、真面目でもない、フツーの大学生でした。

■就活生にアドバイス

決して自分を大きく見せようとせず、正直な今の気持ちをぶつけてみてください。

社員インタビュー プランナー・ディレクター 伊藤衆人

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回で第5弾になります、ROBOTの2016年度新卒採用Webページで掲載していた社員インタビューを紹介したいと思います。なお、2016年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2012年度にROBOTへ新卒で入社し、現在プランナー、ディレクターとして活躍している伊藤衆人です。

2017年11月に公開されたTVCM「ドラゴンクエストX 5000年の旅路 遥かなる故郷へ オンライン/おじいちゃんと孫篇」でディレクターを務めるなど、映画やCM、MVなど様々な映像で活躍しています。

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スクリーンショット 2018-01-22 16.33.33■エンタテインメントの企画・演出をしています

入社して3年目になります。テレビCM、ドキュメンタリー映画、アイドルのPV、テレビアニメの劇場版のオープニング映像など、いろんな作品を担当しました。ロボットは、とにかくなんでもやる会社です。映像だけでなく、イベントやアプリも作ります。僕の仕事は、企画・演出をすることです。“広告の”企画・演出でもなく、“映画の”でもなく、ジャンルや媒体によらず、「企画・演出をすること」が仕事です。強いて“○○の”と言うのであれば、エンタテインメントの企画・演出です。たくさんの人に楽しんでもらえる作品を作ることが僕の仕事です。

 

スクリーンショット 2018-01-22 16.33.46■頭の中にある妄想を具体化する仕事

企画・演出は、考える仕事。クリエイティブな仕事です。クリエイティブは“0から1を生み出すこと”と言われることがありますが、僕は、「頭の中にある妄想を具体化する」という説明が一番合っている気がします。アイデアを形にする快感。僕は、子供の頃から妄想を形にすることが好きでした。小学生の頃は粘土のコマ撮り、中学は映画、高校は音楽、大学は演劇。いつも何かを作っていました。ロボットを知ったきっかけは、小学生の頃に観たロボットの映画「ジュブナイル」です。機械のロボットが好きで、登場するキャラクターの「テトラ」というロボットにハマって、そして、広告、映画、様々なエンタテインメントを作っているロボットという会社にハマって、今は、その会社の一員として、エンタテインメントを作っています。

スクリーンショット 2018-01-22 16.34.03■ロボットの強みはチームワーク

会社では、テレビCM、映画他、すべての作品は「プロジェクト」と呼ばれ、プロジェクトに必要な社員が各部門から集まり、チームとして作品をつくります。ロボットには様々なジャンルのプロデューサー、クリエイターがいますし、社外のクリエイターが参加することもあります。常に新しいチームという感じで、とてもよい刺激を受けます。ロボットの仕事に「同じ」はありません。そして、常に、新しいことにチャレンジします。新しい技術の登場、メディアの変化、ほんとうに飽きない仕事です。

 

スクリーンショット 2018-01-22 16.34.13■将来の夢は、本物のロボットを作ることです

実は、いつか、機械のロボットを作りたいと本気で思っています。できればロボットでロボットを作りたい。今、みんながひとり1台携帯電話を持っているように、将来は1家庭に1台ロボットがいて、それがメディアになっていたらロボットでロボットを作ることもあるかもしれない!って、日々、妄想しています。

 

スクリーンショット 2018-01-22 16.34.34■プライベートな時間

部屋のスターウォーズのフィギュアを眺めているか映画館に籠っています。映画を観て、ロボットのフィギュアを触って、このパーツはどう動くかとか、どう汚れていくのかとか、常に妄想しています。仕事に使えるかはわかりませんが。


■学生の頃

大学の頃は劇団「低気圧ボーイ(ズ)」を主催していました。美大の演劇は、だいたい小難しくてわかりづらい所謂「美大らしい」演劇ばかりの中で、ストレートにコメディをやっていました。それも、エンタテインメントをやりたかったからだと思います。

■就活生にアドバイス

面接や課題には素直に向き合うのが一番です。
特に課題は、裏をかいたり、奇を衒ったり、質問の正解を探すことはせず、本心で取り組んでください。

社員インタビュー エディター 稲本真帆

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していた社員インタビューの掲載、今回で第4弾になります。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、1999年度にROBOTへ入社し、現在CMやWEB広告、映画などのさまざまな映像制作にてエディターとして活躍している稲本真帆です。

2016年にROBOTが制作した短編映画「そうして私たちはプールに金魚を、」でもエディターを務め、第33回サンダンス映画祭短編部門にてグランプリを受賞しています。

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◻︎撮影3日、編集2ヶ月

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

父の趣味で、家に8mmがあるなど、小さいころから映像に触れていました。
家でビデオデッキを2台つないで、編集もしていました。
中学までは運動部だったのですが、高校では放送部に入り、その中でアナウンスと、映像作品を作るということを経験したのがきっかけかもしれないですね。

大学は、日本大学芸術学部放送学科に「アナウンス」専攻で入りました。授業では映像やラジオなど、様々なジャンルの放送に関して学びました。アナウンスを専攻していましたが、作るのも楽しくて、秋に開催される大学の芸術祭で上映するための作品を、夏休み中に自ら脚本・監督・撮影を担当して制作しました。撮影は3日ほどで終わっているのに、編集は繋ぎ直す度に見え方変わっていくのが、面白く、結局2カ月間引きこもっていました。同じカットばかりを何度もつなぎ直していたんですが、やる度に印象が変わって「こんなちょっとしたことでこんな変わるんだ」というのが一番楽しかったところです。

就活では、アナウンサーの試験も受けましたが難しく、その他に映像制作会社を受けました。映像制作会社は、広告代理店に勤めていた知り合いの紹介で何社か受けましたが、その知り合いから映像のどんな仕事をしたいかを聞かれた際に「編集」と答えると「編集所はタバコの煙でいっぱいで、皆暗い所にこもってやるから女の子は本当にお勧めできないから、やめたほうがいいよ」と言われました。
何かを作りたいという思いで各社受けましたが、当時は就職難で内定はもらえず、ROBOTからはデスク職で内定をもらい、入社しました。

◻︎19時からの編集

編集という仕事との出会いはどのようなものでしたか?

デスクの仕事は、オンエアプリントの発注や、制作部のスケジュール管理などしていました。
入社して半年後に、オフィスが移転となり、そのタイミングで1つAVIDの編集室が新しくできました。
当時ROBOTは所属するディレクターのためにAVID社主催の講習会に申し込んでいましたが、スケジュール的に参加できるディレクターが少なく、講習会参加枠が空いていたので、希望して行かせてもらいました。
AVIDの編集室は、基本的にはフリーランスのエディターが出入りして作業をしていましたが、編集室が空いている日も多くあったので、そうした日はデスクの仕事が終わった、18、19時ころから編集室を借りて、AVIDを触っていました。
私が触っていると周りは「AVID触れるの?」と驚きました。 当時は誰も編集機をいじれず、VHSの編集機を使っていました。AVIDを触りはじめた当初は広告の資料映像の編集など細かい作業を頼まれるようになりました。

そうした中、デスクの仕事は続けていました。朝10時から18、19時まではデスクの業務を行い、その後、編集をして、翌日また10時に出社してというサイクルでした。編集はやりだしたら社内に仕事はいっぱいありました。
デスク業務と編集を兼任して行うというのは、忙しかったですが、面白かったです。楽しくて、とにかくやりたかったから。やりたいからこそ、デスク業務はちゃんとしなければ思い、デスクと編集の両方を頑張ってやっていました。
入社して3年経ったころ、デスク職の人員が増えるタイミングで、社内で編集を専任ですることが認められて、デスクとの兼任ではなく編集を専門で行うようになりました。

編集の仕事はフリーランスでよくROBOTと仕事をしていたエディターの方々から学びました。編集を見学したり、自分が分からないところをメモして「これができないんですけど」と質問していました。皆さん、優しく教えてくれました。

エディターという仕事をやっていこうと覚悟をしたのは、26歳の頃で、20分ほどのショートフィルムを担当したときです。女性ディレクターからの依頼で、自分が担当するには、「まだ早いかな」と思っていましたが、やりたい気持ちは強くあって、ディレクターから「やれる?」と聞かれたときに「やります!」と即答していました。担当したときに、多分周りには迷惑掛けるけど、エディターとして「ちゃんとやらなきゃ」というような自覚が芽生えました。

◻︎頼ってくれる

今はどのような仕事をしていますか?またどのように仕事をしていますか?

一番多いのはTVCMです。その他にWEBムービー、ミュージックビデオ、自社の映画作品のメイキング映像や本編の編集に関わることもあります。
仕事で使用する編集ソフトは日々進化してますが、とにかく早く覚えて、自分の手足として、作業内で引っ掛からないように早く吸収することを心掛けています。そうすることで仕事の内容の話にちゃんと頭が向くようなります。そして作るときはあんまり、頭を固くし過ぎず、柔軟にするというのは、心掛けていますね。
編集をはじめたころは、なかなか自分の思いどおりには作れないんだと感じることはありました。それは自分が未熟だった部分も含めてですが。特にCMでは最終的な判断するのは広告主なので、私はこっちがいいなと思う編集でもOKがもらえないこともあります。
そのときは、なるべく最終的な判断をする方の脳みそになろうとします。何故この人はそう思ったのかを考えます。その人の意図を汲んだうえで、「こういう編集はどうか」と提案もできるようになります。自分の良いなと思う編集にOKがでない時も、前向きに捉えて別の提案をできるようにしています。

編集室では映像の監督やクリエイティブ・ディレクター、広告主の様々な意見が出ることもありますが、エディターとしてどのようにしていますか?

私は決断する立場ではないので、常に「監督が言っていることであればこういう編集がいいだろうな」「クリエイティブ・ディレクターが言っていることであればこういう編集がいいだろうな」と考えています。その中に私はこれになればいいなと思っている編集もあります。何かを決断をするわけではないですが、それぞれの要望に対応できるようにしつつ、自分が推す案を隠し玉として用意することもあります。

編集の仕事のどんな所が魅力だと感じていますか?

監督や一緒に仕事をする人たちが編集のパートに関しては、凄く頼ってくれるところが面白いです。全ての行程を俯瞰で見ているわけではありませんが、編集の視点から言えることもあります。そうした知識やスキルを自信を持って提供して皆が信頼してくれると嬉しいです。

◻︎映像の中身を意識して作れるチーム

今後の目標を教えてください。

個人としては長年やってきたので、ジャンルとしてもいろんなことに挑戦できて、一段落したところです。今年は2名の新人が入り、編集部門の人数も増えるので、ROBOTの編集部を、ちゃんと育てていきたいというのが目標です。
それぞれのエディターが個性を持って、やりたいことに挑戦できて、技術的にも新しいことに対応して、プロダクションの内部の編集部として、ただのオペレーターではない、映像の中身を意識して作れるチームをつくりたいなと思っています。

◻︎前に進むことを考える

エディターを目指す人にアドバイスを

結局、一歩を踏みださないと何も始まらないから、やりたいと思ったら自分から進むことです。特に会社に勤めると、言われるがまま仕事をすることもあると思いますが、その中でも自分で発信をすることが大事です。ただ言いたいことだけを言っても認められません。自分の仕事の責任は果たして、自らのやりたいことに向かって、どう動くかを考えながら行動してください。それがもし駄目だったら駄目で、また違う道考えて、とにかく前に進むことを考えてほしいなと思います。

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社員インタビュー プロデューサー 長谷川晴彦

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回で第3弾になります、ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していました、社員インタビューを紹介したいと思います。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2000年度にROBOTへ新卒で入社し、現在プロデューサーとして活躍している長谷川晴彦です。

2016年ROBOTが制作した連続テレビドラマ「螻蛄 疫病神シリーズ」でプロデューサーを務めるなど、映画やドラマのプロデューサーとして活躍しています。

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□ 一本の映画が魂を震わせた

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

僕が小学校3年生の時に、自宅の近くにレンタルビデオ店がオープンしました。両親の趣味が映画鑑賞だったので、週末になると両親にそのビデオ店に連れて行かれました。様々な映画のパッケージを手に取り、これはどんな映画なのだろうと想像を膨らませるのが好きでしたね。勿論、映画を観るのも大好きで、毎週末が来るのが待ち遠しかったのを覚えています。両親とは様々な映画を観ていて、ラブシーンや暴力シーンなどがある映画も一緒に観ていましたね。今、自分が観ているのは何だかいけない映像な気がするけど、親が何も言わないから、いけなくないのかも?なんて感じで、様々な映画に接していたというのが僕のベースにあります。
中学入学以降、映画はあまり観なくなりました。他に色々と興味が湧いていたもので。ただ、高校一年生の時に自宅のテレビで流れていたMTVのミュージックビデオを見て、衝撃を受けました。「Nirvana」や「Pearl Jam」、「Lenny Kravitz」のミュージックビデオには鳥肌が立ちましたね。

その後、一般の大学に進学しました。自分で映像を作る発想はゼロでした。大学に特に目的も無かったので、「さてさて、どうしたもんかな」と考えていた矢先に視聴覚室で映画『ニュー・シネマ・パラダイス』をたまたま観ました。すると、なんだか知らないけどポロポロ涙がこぼれるんです。静かな視聴覚室に僕の嗚咽が響きまくったようで、心配した友達が近寄ってくる始末でした。今でも、なんであんなに泣いたのかわかりませんが、ただひとつわかったのは、これが「魂が震える」ということでした。この時に「映画には底知れぬパワーが宿っている」と痛感し、自分も誰かの魂を震えさせることが出来るかもしれないと思い、自主映画を制作し始めます。映画監督を目指したのです。
主な活動の場は、大学の映画研究会でした。8ミリフィルムで撮影して、編集をして、自分の作品を制作することは非常に楽しかったですね。大学四年間で数本制作しました。しかし、PFFを始め、様々な映画祭にそれらの作品をエントリーしましたが、箸にも棒にも引っかかりませんでした。
夢中になっていた分、失望は大きかったですね。今思うと本当に早い決断でしたが「自分は監督に向いていない」と映画監督の夢は諦めました。
一方で、映画研究会の部長や、文化系サークルを統括する委員長を務めていて、組織を運営することの楽しさや難しさを実感します。この頃から、自分の立ち位置は、プロデューサーに近いのではないか、意外と自分に向いているのではないかと思い、プロデューサーを目指すようになります。

□ 何者でもない自分

就活はどのようにされましたか?

卒業したら、学生時代にお世話になっていた映画監督のもとで、フリーランスの制作進行からキャリアスタートしようと思っていましたが、どうしても気になる会社が一社ありました。それがROBOTです。『Love Letter』や『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大好きだった僕は、エンドロールに出てくるこのアルファベット5文字ROBOTは何だろう?と思っていたのですが、それが制作会社と知って、断然興味を持ちました。調べれば調べる程、ROBOTの社風がカッコイイと思いましたね。そんな折、大学四年生時に映画部としては初めての新卒採用があり、即座にエントリーしました。心底好きな片思いの女の子に告白する感情と同じような気持ちで面接に臨むという訳のわからないテーマを実践し、内定をもらいました。そういえば、面接を受ける前に、なぜ僕がROBOTを好きなのかなんて手紙を当時の部長に送ったことを思い出しました(笑)。

入社して半年間は撮影現場には出ずに、映画の企画打合せや脚本打合せに参加していました。映画が出来る最初のプロセスを目の当たりにすることが出来たのは、本当に貴重な経験で、これを見て現場に出るのと、見ないで出るのとでは、大きな違いがあったと思います。
そして、10月に制作進行見習いとして撮影現場に出ました。右も左もわからない状況で、なぜこんな簡単なことが自分は出来ないのだろうという自問自答の繰り返しの日々。これまでの自主映画の経験というのは何にも通用しない、撮影現場において、自分は何者でもないのだということを痛感しました。
映画の制作部は、基本的にフリーランスのスタッフで構成されています。なので、会社内で先輩社員が後輩社員に教えるというような環境は無く「仕事は盗んで覚えろ」という環境でした。当然、自分で仕事を吸収する必要があったのですが、空気を読む力、物事に対応する力が低かった僕はそうしたことが苦手で、なかなか成長出来ませんでした。

最初の3年は大きな成長も無く過ぎていき、自分でも「本当に駄目だな」と実感していました。社会の厳しさを痛感したのです。そんな中、社会人4年目にフリーランスの制作の方が、ROBOTから僕を2年間預るカタチで面倒を見てくださって、制作現場の「いろは」を叩き込んでくださいました。そこからは、仕事の仕方も少しずつ変わり、遅ればせながら成長出来たと思います。

□ 交通事故

外部での2年間は、ROBOT制作の映画でなく他社が制作する作品に参加しました。ROBOT以外の現場を知ることが出来たのは貴重な経験で、仕事の吸収も高かったと思います。そんな中、ある映画の撮影に参加中、単独の自動車交通事故を起こしてしまいます。
警察の方に、死んでもおかしくないと言われた壮絶な事故でした。事故直後は、一生目が開かない状態と医師に言われて「もうこの仕事も会社も辞めないといけない」と思っていました。幸いにも目は開きましたが、自分への失望が激しく、実家で二週間以上寝たきりの生活をしました。しかし、二週間も過ぎると、布団の中で「このままじゃ終われない」とフツフツと悔しい気持ちが芽生えてきました。そして、一つの決心をします。「絶対この仕事で飯を食う」です。
これがターニングポイントでした。とにかく悔しくて、必ず見返したいという気持ちから、自分に何が足りないのかを何度も考えて、仕事の方法そのものを変えました。

例えば、常に小さなメモ帳を持つようにしました。太もも部分にポケットがついたズボンを買って、そのポケットにメモ帳とペンを入れて、言われたこと、怒られたことを全てメモ。そのメモは毎晩見直しました。書類はそれまでクリアファイルに入れていたのですが、それだとすぐに書類が取り出せなかったり、落ちたりするので、全てパンチで1枚1枚穴を開けて、すぐに見られるようにルーズリーフで管理しました。話し方も変えました。話の要点が分かるように、5W1Hを常に意識しました。
とにかく何が足りないのか、どうやれば上達するのかと常に考えて、死にものぐるいで仕事をしましたね。
今思うと、最初の3年というのは仕事に臨んでいた姿勢が甘かったと思います。それが交通事故で死にかけたことによって、全てが変わり、仕事に対する姿勢が改善されていきました。

□ 一人だけで考えなくてもいい

その後プロデューサーになります―

制作の経験を重ねて、制作担当として外部の会社が制作する大型作品にも呼ばれるようになりました。最初の現場で感じた「何者でもない」と思っていた自分が、ポスターに名前が載るようになり、周囲から信頼されていくようになったのは、大きな喜びでしたね。
2011年に外部での仕事に区切りをつけ、ROBOTに戻ってきたタイミングでとある映画の企画が持ち上がり、プロデューサーとして参加することになります。結局、企画は成立せず流れてしまいます。
そこで困るわけです。プロデューサーになったものの、次の自分の作品が皆無なのです。のんびりしているわけにもいかず、百戦錬磨の先輩プロデューサーとの差別化も図らないといけません。そこで、自分の「ストロングポイント」を作ろうと考えました。当時の映画部を見渡してみると、ゴールデンタイムで放送される連続ドラマは手がけていませんでした。僕は外部の仕事で連続ドラマの制作も担当していたので、これが「ストロングポイント」になるのではないかと企画を立てて、各テレビ局に営業を始めます。連続ドラマから映画に展開していけば良いと考えていたのです。
その中で、最初にROBOTに興味を持ってくれたのがTBSさんでした。そして、企画が採用されて初プロデューサーとして制作したのが『終電バイバイ』です。その後、『安堂ロイド』『家族狩り』とTBSさんとドラマを制作していくことになります。
『終電バイバイ』は、ROBOT社内から企画を募集するカタチでスタートしました。さらに、応募された企画を社内のプランナー数名と揉んでいき、企画を立てていきました。そうした企画の立案方法にTBSさんのご担当者が興味を持ってくださり、最終的に『終電バイバイ』が生まれました。
皆で立てた企画が採用された時は「自分で企画を考えなくてもいいんだ!」と新鮮な驚きがありました。それまではプロデューサーたるもの「企画は自ら考える」と思い込んでいたものですから。この経験は今の自分の仕事のスタイルにも繋がっていき、企画は必ずしも自分だけで考えなくてもよく、様々なネットワークを活かして集めるのもプロデューサーの技量だと思っています。

□ ドラマの魅力にハマる

ドラマと映画の違いや魅力というのはどういったところですか?

まず、制作作業の速さが違います。ドラマは全ての作業を速く行う必要があります。例えば映画は2時間の脚本を1本作りますが、ドラマは1時間の脚本を10本作らないといけません。そして、映画がその2時間の脚本を3〜4カ月間で撮影するとすれば、ドラマは同じ期間で10話分撮影します。さらに、撮影の合間には脚本打合せや編集などの作業も行うため、スピード感が全く違います。
また、ドラマ制作の一番面白いところは、作っている最中に視聴者の感想を聞けることです。それが映画と一番違うところでした。当然、良い反応は嬉しいですし、批判には凹むこともありますが、そうしたライブ感に夢中になり、のめり込んで行きました。

最近は『家族狩り』やスカパー!製作の『疫病神シリーズ』とサスペンスやハードボイルドな作品を制作し続けていますが次にやってみたいものは?―

次に作りたいのは、ラブコメです。そのジャンルの作品を観る側として大好きだからなのですが、ただ、僕のセンスで、視聴者や観客の共感を得るには、相当ハードルが高い気がしていますので、今までとは違う脳の使い方をしないといけないかもしれませんね(笑)。
あとは、家族の話を描きたいです。単純に自分の家族が出来たからですが、夫となり、父となると、見える風景や周囲からの見られ方がだいぶ変わるんですよね。ラブコメにしても、ホームドラマにしても、オリジナル作品でやってみたいです。

どのようにそれを実現したいですか?

とにかく良い作品を作り続けていくということが大事でしょうね。そうすることによって、周りから大きな信頼を得られると思います。その大きな信頼を活かして、自分が本当に好きなことだけを詰め込んだ作品にしたいです。
その作品が、僕にとっての『ニュー・シネマ・パラダイス』のように、誰かにとっての「魂が震える」作品がであったらと思っています。

□ 辞めない覚悟

プロデューサーを目指す人へ

何かをやり遂げる覚悟も必要かもしれませんが、僕が一番大事にしているのは「辞めない」覚悟です。辞めないということも、実はすごい才能だと思います。平たくいうと石の上にも三年ということになりますが、辞めないことには努力も必要です。でも、辞めないと決意してそれを実行することで、色々なことが身に付くと思います。これは僕の仕事上のポリシーの一つでもあります。

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社員インタビュー アートディレクター 坪野健二郎

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回も、ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していました、社員インタビューを紹介したいと思います。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2005年度にROBOTへ新卒で入社し、現在アートディレクターとして活躍している坪野健二郎です。

2016年ROBOTが制作したショートフィルム「HOME AWAY FROM HOME」では、ビジュアル・デザイナーを務めるなど、広告・映画・書籍などのグラフィックデザインを中心に、WEB・CMのアートディレクションまで幅広く担当をしています。

 

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◻︎専用のノートを作って絵を描いていた

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

小さな頃から専用のノートを作って、家で絵を描いているような子供でした。その頃は、職業というものを意識したことはなかったのですが、父が電気工事業という職人をやっていて、その跡を継ぎたいと思っていました。
1994年にJリーグが開幕すると、自分もサッカー選手になりたいと思いましたが、膝を故障するなど、思い通りにいかず、それからは特に何かになりたいという希望はありませんでした。
高校生の時に、京都の歴史や寺院などの造形に興味を持ちました。2年の進路指導の際にそうした興味から建築について学びたいと担任に話したところ、自分が興味を持っている分野は美術であることに気がつきました。それ以来、デッザンを習うなど美大を目指すようになりました。

デザイナーという職業を意識したのは大学に入ってからです。大学3年の時、広告に関する授業を受講しました。そこでは特別講師として、佐藤可士和さん、葛西薫さん、大貫卓也さんなど、名だたるアートディレクター方の講義受けることができ、広告業界やアートディレクターの仕事を知り、興味を持ちました。
就職活動は、広告代理店とデザイン事務所を中心にエントリーしました。ROBOTのことは、大学の求人欄ではじめて知り、ホームページを見て、エンターテイメント色の強い会社だという印象を持ち、受けました。

◻︎思っていた仕事と違う

学生の時のイメージと、実際に入社してからは違いましたか?

想像以上に過酷でした。ハードワークであることは想像していたのですが、それよりも「思っていた仕事と違う」と強く感じていました。
僕が入社した2005年頃は、広告会社出身のアートディレクターの作品が世間で話題となることが多く、入社前は「グラフィックは格好良く作ればいいんだ」と感じていました。それが仕事をはじめて「ただ格好良いものを作れば良いわけではない」ということには気が付きましたが、打ち合わせで話されている内容も、何故そういうことをするのかという理由も全く理解できませんでした。何をやっていいか分からず、何かデザインしても、上司からは「違う」言われるという状態が続き、精神的な大変さがありました。

そうした状況はどうやって乗り越えていったのですか?

入社して、上司や先輩のアートディレクターと仕事を覚えていくなかで、デザインに対する考え方や仕事の仕方を見て、デザインというのは、色々なことを考える仕事なのだということに気が付きました。 技術的な話では、Photoshopの一つ一つの作業を新たに覚え直しました。デザインに関するソフトについては、大学時代に覚えましたが、プロの仕事をするには未熟でした。Photoshopの機能一つの使い方をとってみても、学生の作業とのクオリティーに大きな差があることに気がついた時には、愕然としました。

◻︎仕事を楽しくしよう

仕事を覚えていくなかで、どんなことを学びましたか?

「仕事を楽しくしよう」というスタンスです。自分だけでなく、スタッフやクライアントも一緒に、その仕事自体を楽しく盛り上げるということを基本の姿勢として教わった気がします。たとえば撮影でシリアスな写真を撮るという場だったとしても、眉間にシワを寄せて喧々諤々と挑むということにはしません。シリアスなものでも、みんながドキドキしながら楽しんで撮影できるような雰囲気作りをしています。

そうした経験を経てデザイナーから、アートディレクターになりました―

小規模な案件からアートディレクターとして担当することが増えましたが、当初は自分のアートディレクションがどういうものかよく分かりませんでした。分かったのは最近のような気もします。
クライアントから相談を受けたものを、クリエイティブの視点で、良い方向に導いていく。もちろんビジネスとしても成立させるということを、やり出せるようになってきました。未熟なところはあると思いますが、そうした体験をしてからは、自分のことをアートディレクターと言ってもいいのかなと思うようになりました。

◻︎変わっていく楽しさ、大変さ

仕事の楽しさや、大変さは変わってきましたか?

デザイナー職で入社して、「何をしていいか分からない」という状態でも、デザインをしているうちに、作っていること自体が楽しくなる瞬間がありました。「良いい感じになってきたな」とテンションが上がり、「楽しい」と思える時はありました。
他にも上司や先輩に自分のデザインを褒められたり、クライアントから、自分が作ったものに対する評価をもらえた時が楽しい瞬間でした。

今は、デザインの出来にクライアントが満足することからはじまり、世の中に出て、評価を感じられた時、そして担当した商品が売れるなど結果につながった時に楽しさや嬉しさを感じるようになりました。 アートディレクターになると、クライアントに対する答えの出し方を自分で決める必要があります。デザイナーの時よりも、労働時間は短くなっているかもしれませんが、自分の判断で今後の仕事が無くなるということも起こり得るので、その責任を負うという点で、大変だと感じることがあります。

◻︎プラスアルファを持っていく

デザイナーからアートディレクターになっていく過程でどんな努力をしていましたか?

入社当初からアートディレクターを意識していました。ただ言われたものをデザインするのではなく、自分の考えも示すようにしていました。例えばデザイナーとして、クライアントに提出する際に、アートディレクターから指示を受けたものだけでなく、プラスアルファで自分の案を持っていくことを続けていました。

◻︎悩んでいる

今、デザインという仕事の領域も変わってきています。この先、坪野さんはどんなことで勝負をしていきますか?

正直に言うと悩んでいます。しかし「こうなっていくべきなのだろう」というイメージはあります。今は肩書が曖昧になってきています。アートディレクターは、これまでの「デザイン」に関する責任だけでなく、アートディレクターとして「デザイン」という視点からビジネスを創っていくことが必要だと感じています。

◻︎自分がどうしたいか

デザイナー、アートディレクターを目指す方に―

突き詰めると「自分がどうしたいか」という意思が大切になります。そのためには、例えば、アートディレクターになりたいから勉強をするというよりも、自分らしさを磨くということ、自分は誰が何と言おうと「これが好き」というものを持っておくことが大事だと思います。

昔の自分と比べると、今の若い人の方が、コミュニケーションに関してはプロフェッショナルになっていると思います。昔のAIDMAやAISASと言われた時代から、今はSIPSといわれるようにコミュニケーション自体が変わってきています。TVCMが最も広告で効果があるとされていた時代から、ウェブやスマホでも情報を受け取る時代になって、そうしたものを当たり前に使ってきた世代の感覚というのは信じて良いと思います。またROBOTは例えば上司との仕事の中で感じたそうした違和感や自分の感覚を口にできる環境でもあると思います。

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社員インタビュー プロデューサー 横山治己

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していました、社員インタビューを紹介したいと思います。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2004年度にROBOTへ新卒で入社し、現在プロデューサーとして活躍している横山治己です。

2016年にROBOTが制作した短編映画「そうして私たちはプールに金魚を、」でもプロデューサーを務め、第33回サンダンス映画祭短編部門にてグランプリを受賞しています。

 

 

yokoyama

□ 進路は決めずに、予備校にいく!

子供の頃の話を聞かせてください。

学生の頃は、「仕事をして稼ぐ」というイメージを全く持っていませんでした。父が医者でしたので、高校2年生ぐらいまでは何となく「医学部を受験したほうがいいのかな」と思っていました。しかし、父からは「同じ道でなくても良い」と言われたので、「進路は決めずに俺は浪人して予備校に行く!」と決めて予備校へ行きました。予備校では大学生みたいなことを1年間やって、ある程度満足して、ど田舎の大学に行くことになりました。
その大学でも、就職に興味の無い人が多い、変な学部だったので、みんなで何かを作ったり、イベントの企画などを漠然とやっていただけの大学生活でした。
授業では広告表現や、テレビ番組プロデューサーの方の講義などを受講し、ドキュメンタリー映像の制作や、学祭を盛り上げるための映像を作りました。
今、振り返ってみるとそうしたことが生かされるような仕事だったりするので、無駄ではなかったのかなとは思いますが、プロデューサーの仕事のための準備をしていたという実感は全くありません。

□ 気がついたら募集が終わっていた

どういった就活をしましたか?

就職のタイミングでは、広告代理店やテレビ局に勤める先輩の話を聞きマスコミ関係の業界を希望していましたが、卒業する先輩たちの「追いコン」に忙しく、気がついたときには4月を迎え、希望の業界はほとんど募集を終えていました。
そこからIT関連企業なども受けましたが、友人から「ROBOT」の話を聞き、興味を持ちエントリーしたのがきっかけです。
内定は、携帯ゲーム会社、人材派遣の会社などありましたが、TVCMや映画を作るのは面白そうだと思いました。そして、自分の祖父母に自分の仕事を紹介するときに「俺はこれを作ってる」と映像を見せられるのは、何だかいいなと思い、最終的にROBOTへの入社を決めました。

□ カタチにしていくというプロセスが好き

入社してどんなものを作りたいと思っていましたか?

実はなかったんです…何でもいいんです、今でも。別に映像じゃなくてもいいし。なにか「やるべきこと」や「やりたいことがある人」とそれをカタチにしていくという、プロセスが好きなので。
例えば映像ではなく「車を造れ」と言われても、喜んでやると思うし、「パソコン作れ」と言われても「やります」と答えると思います。自分のアウトプットが「映像でなくてはダメだ」というこだわりはありません。

そうしてキャリアをスタートした新人の頃はどんなでしたか?

ひどい新人だったと思います。そもそも映像自体に対する興味が薄く、知識もない状態で、仕事はうまく回したい思うけれども、当然それができなくて、めちゃくちゃ怒られながら過ごしていました。

□ 「仕事を回す」は当たり前

怒られなくなってきたのはどのくらいからですか?

入社してからは、長い間怒られていました。怒られなくなってきたのは、6、7年目ぐらいからじゃないかな。
「仕事を回す」というやり方は現場の人たちからは、あんまり好かれません。シリーズで担当していた飲料のTVCMのチームでは、「仕事を回せる」というのは当たり前で評価はされません。その中でプロダクションマネージャーとして「お前は、どうやって画に貢献するんだ」というところを求められていました。ですので、仕事を回すだけではダメで、よく怒られていました。そうした環境で「先回りすること」を意識して仕事をしていくと、ほかの現場では怒られることが減っていきました。

□ 画に貢献しろ

プロダクションマネージャーの仕事は、企画から納品まで関わります。撮影部、照明部、美術部など様々なプロフェッショナルが居るなかで、プロダクションマネージャーは若いけれども、1つのポジションを任されています。長く担当していた飲料CMのディレクターからは、そうしたプロダクションマネージャーが、映像の中身にコミットするように、そして若くても1つのポジションとして各部と対等に話せるようになれと言われていました。
予算やスタッフのスケジュール管理をする際に漫然と段取りをするのではなく、画を良くするために、ロケ地の候補を探して選ぶ必要があれば、スタッフのスケジュールを抑えたり、ロケハンに費用が掛かるのであれば撮影現場では節約したり、効率的な香盤を組む、仕上げの工程を1つ減らすなど、工夫できるところはあって、そうした制作フローを全体の組み立てからでも、画に貢献できることはあると意識して取り組むことができます。

□ 3年で惜しまれつつ辞めようと思っていた

入社してすぐの頃は、「なんでお茶買いに行かなきゃいけないんだ」「なんで地図作ってファックス20人に送ったりするの俺がやんなきゃいけないんだ」と思っていました。そうした態度が怒られた原因の一つではあると思うんですけど。
そして「飲料CMのチーフ制作になって、3年目で惜しまれつつ辞めて、第2新卒で別の仕事しよう」と心に決めました。
入社3年目の終わりにその飲料CMに関わることになりましたが「これは惜しまれつつ辞めるという状況にはならない」と(笑)
「今辞めたら、仕事についてこられなくて辞めたやつ」と言われると思い、その計画を5年に延長しました。
5年目にチーフ制作としてその飲料CMを担当していましたが、やっぱり怒られたし、撮影現場が止まってしまうような進行になるなど、「もうちょっとできるようにならなければ」思っているうちに月日は流れ、「惜しまれつつ辞める」という計画は具体化することなく今に至っています。

今はプロデューサーとして、発泡酒CM、炭酸水、ボディーシャンプーのTVCMの他に8Kコンテンツのプロデュースもしています。
8Kのような新しい技術を使った映像を作るとなると、自分でも触れたことのないものが多々あります。情報のキャッチアップのための特別な勉強はしていませんが、必要に応じて、それぞれの専門家のところへいって「こういうことやりたいと思ってるんですけど、話聞けますか」と相談しています。「知らない」ということを恐れず、行動するようにしています。

□ プロデューサーを目指す人へ

この仕事は、ほとんどが社外の人と関わります。その人たちと毎回違うものを作るというところが楽しさです。
その一人ひとりに自分が合うだろうか、認めてもらえるだろうか、受け入れてもらえるだろうかと心配することはありません。
それよりは、相手と合わなくともその中で共感できるポイントを探したり、気持ちの切り替え方を身に付けるなどして続けていくことができれば、誰もがやることのできる仕事だと思います。

 

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