社員インタビュー プロデューサー 長谷川晴彦

みなさん、こんにちは。ご閲覧いただきありがとうございます。

ロボットの新卒採用担当です。

今回で第3弾になります、ROBOTの2017年度新卒採用Webページで掲載していました、社員インタビューを紹介したいと思います。尚、2017年3月当時の内容となっておりますので、部署名等が現在と違う場合があります。ご了承ください。

今回紹介するのは、2000年度にROBOTへ新卒で入社し、現在プロデューサーとして活躍している長谷川晴彦です。

2016年ROBOTが制作した連続テレビドラマ「螻蛄 疫病神シリーズ」でプロデューサーを務めるなど、映画やドラマのプロデューサーとして活躍しています。

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□ 一本の映画が魂を震わせた

子供時代の話と、今の仕事を志したきっかけを教えてください。

僕が小学校3年生の時に、自宅の近くにレンタルビデオ店がオープンしました。両親の趣味が映画鑑賞だったので、週末になると両親にそのビデオ店に連れて行かれました。様々な映画のパッケージを手に取り、これはどんな映画なのだろうと想像を膨らませるのが好きでしたね。勿論、映画を観るのも大好きで、毎週末が来るのが待ち遠しかったのを覚えています。両親とは様々な映画を観ていて、ラブシーンや暴力シーンなどがある映画も一緒に観ていましたね。今、自分が観ているのは何だかいけない映像な気がするけど、親が何も言わないから、いけなくないのかも?なんて感じで、様々な映画に接していたというのが僕のベースにあります。
中学入学以降、映画はあまり観なくなりました。他に色々と興味が湧いていたもので。ただ、高校一年生の時に自宅のテレビで流れていたMTVのミュージックビデオを見て、衝撃を受けました。「Nirvana」や「Pearl Jam」、「Lenny Kravitz」のミュージックビデオには鳥肌が立ちましたね。

その後、一般の大学に進学しました。自分で映像を作る発想はゼロでした。大学に特に目的も無かったので、「さてさて、どうしたもんかな」と考えていた矢先に視聴覚室で映画『ニュー・シネマ・パラダイス』をたまたま観ました。すると、なんだか知らないけどポロポロ涙がこぼれるんです。静かな視聴覚室に僕の嗚咽が響きまくったようで、心配した友達が近寄ってくる始末でした。今でも、なんであんなに泣いたのかわかりませんが、ただひとつわかったのは、これが「魂が震える」ということでした。この時に「映画には底知れぬパワーが宿っている」と痛感し、自分も誰かの魂を震えさせることが出来るかもしれないと思い、自主映画を制作し始めます。映画監督を目指したのです。
主な活動の場は、大学の映画研究会でした。8ミリフィルムで撮影して、編集をして、自分の作品を制作することは非常に楽しかったですね。大学四年間で数本制作しました。しかし、PFFを始め、様々な映画祭にそれらの作品をエントリーしましたが、箸にも棒にも引っかかりませんでした。
夢中になっていた分、失望は大きかったですね。今思うと本当に早い決断でしたが「自分は監督に向いていない」と映画監督の夢は諦めました。
一方で、映画研究会の部長や、文化系サークルを統括する委員長を務めていて、組織を運営することの楽しさや難しさを実感します。この頃から、自分の立ち位置は、プロデューサーに近いのではないか、意外と自分に向いているのではないかと思い、プロデューサーを目指すようになります。

□ 何者でもない自分

就活はどのようにされましたか?

卒業したら、学生時代にお世話になっていた映画監督のもとで、フリーランスの制作進行からキャリアスタートしようと思っていましたが、どうしても気になる会社が一社ありました。それがROBOTです。『Love Letter』や『踊る大捜査線 THE MOVIE』が大好きだった僕は、エンドロールに出てくるこのアルファベット5文字ROBOTは何だろう?と思っていたのですが、それが制作会社と知って、断然興味を持ちました。調べれば調べる程、ROBOTの社風がカッコイイと思いましたね。そんな折、大学四年生時に映画部としては初めての新卒採用があり、即座にエントリーしました。心底好きな片思いの女の子に告白する感情と同じような気持ちで面接に臨むという訳のわからないテーマを実践し、内定をもらいました。そういえば、面接を受ける前に、なぜ僕がROBOTを好きなのかなんて手紙を当時の部長に送ったことを思い出しました(笑)。

入社して半年間は撮影現場には出ずに、映画の企画打合せや脚本打合せに参加していました。映画が出来る最初のプロセスを目の当たりにすることが出来たのは、本当に貴重な経験で、これを見て現場に出るのと、見ないで出るのとでは、大きな違いがあったと思います。
そして、10月に制作進行見習いとして撮影現場に出ました。右も左もわからない状況で、なぜこんな簡単なことが自分は出来ないのだろうという自問自答の繰り返しの日々。これまでの自主映画の経験というのは何にも通用しない、撮影現場において、自分は何者でもないのだということを痛感しました。
映画の制作部は、基本的にフリーランスのスタッフで構成されています。なので、会社内で先輩社員が後輩社員に教えるというような環境は無く「仕事は盗んで覚えろ」という環境でした。当然、自分で仕事を吸収する必要があったのですが、空気を読む力、物事に対応する力が低かった僕はそうしたことが苦手で、なかなか成長出来ませんでした。

最初の3年は大きな成長も無く過ぎていき、自分でも「本当に駄目だな」と実感していました。社会の厳しさを痛感したのです。そんな中、社会人4年目にフリーランスの制作の方が、ROBOTから僕を2年間預るカタチで面倒を見てくださって、制作現場の「いろは」を叩き込んでくださいました。そこからは、仕事の仕方も少しずつ変わり、遅ればせながら成長出来たと思います。

□ 交通事故

外部での2年間は、ROBOT制作の映画でなく他社が制作する作品に参加しました。ROBOT以外の現場を知ることが出来たのは貴重な経験で、仕事の吸収も高かったと思います。そんな中、ある映画の撮影に参加中、単独の自動車交通事故を起こしてしまいます。
警察の方に、死んでもおかしくないと言われた壮絶な事故でした。事故直後は、一生目が開かない状態と医師に言われて「もうこの仕事も会社も辞めないといけない」と思っていました。幸いにも目は開きましたが、自分への失望が激しく、実家で二週間以上寝たきりの生活をしました。しかし、二週間も過ぎると、布団の中で「このままじゃ終われない」とフツフツと悔しい気持ちが芽生えてきました。そして、一つの決心をします。「絶対この仕事で飯を食う」です。
これがターニングポイントでした。とにかく悔しくて、必ず見返したいという気持ちから、自分に何が足りないのかを何度も考えて、仕事の方法そのものを変えました。

例えば、常に小さなメモ帳を持つようにしました。太もも部分にポケットがついたズボンを買って、そのポケットにメモ帳とペンを入れて、言われたこと、怒られたことを全てメモ。そのメモは毎晩見直しました。書類はそれまでクリアファイルに入れていたのですが、それだとすぐに書類が取り出せなかったり、落ちたりするので、全てパンチで1枚1枚穴を開けて、すぐに見られるようにルーズリーフで管理しました。話し方も変えました。話の要点が分かるように、5W1Hを常に意識しました。
とにかく何が足りないのか、どうやれば上達するのかと常に考えて、死にものぐるいで仕事をしましたね。
今思うと、最初の3年というのは仕事に臨んでいた姿勢が甘かったと思います。それが交通事故で死にかけたことによって、全てが変わり、仕事に対する姿勢が改善されていきました。

□ 一人だけで考えなくてもいい

その後プロデューサーになります―

制作の経験を重ねて、制作担当として外部の会社が制作する大型作品にも呼ばれるようになりました。最初の現場で感じた「何者でもない」と思っていた自分が、ポスターに名前が載るようになり、周囲から信頼されていくようになったのは、大きな喜びでしたね。
2011年に外部での仕事に区切りをつけ、ROBOTに戻ってきたタイミングでとある映画の企画が持ち上がり、プロデューサーとして参加することになります。結局、企画は成立せず流れてしまいます。
そこで困るわけです。プロデューサーになったものの、次の自分の作品が皆無なのです。のんびりしているわけにもいかず、百戦錬磨の先輩プロデューサーとの差別化も図らないといけません。そこで、自分の「ストロングポイント」を作ろうと考えました。当時の映画部を見渡してみると、ゴールデンタイムで放送される連続ドラマは手がけていませんでした。僕は外部の仕事で連続ドラマの制作も担当していたので、これが「ストロングポイント」になるのではないかと企画を立てて、各テレビ局に営業を始めます。連続ドラマから映画に展開していけば良いと考えていたのです。
その中で、最初にROBOTに興味を持ってくれたのがTBSさんでした。そして、企画が採用されて初プロデューサーとして制作したのが『終電バイバイ』です。その後、『安堂ロイド』『家族狩り』とTBSさんとドラマを制作していくことになります。
『終電バイバイ』は、ROBOT社内から企画を募集するカタチでスタートしました。さらに、応募された企画を社内のプランナー数名と揉んでいき、企画を立てていきました。そうした企画の立案方法にTBSさんのご担当者が興味を持ってくださり、最終的に『終電バイバイ』が生まれました。
皆で立てた企画が採用された時は「自分で企画を考えなくてもいいんだ!」と新鮮な驚きがありました。それまではプロデューサーたるもの「企画は自ら考える」と思い込んでいたものですから。この経験は今の自分の仕事のスタイルにも繋がっていき、企画は必ずしも自分だけで考えなくてもよく、様々なネットワークを活かして集めるのもプロデューサーの技量だと思っています。

□ ドラマの魅力にハマる

ドラマと映画の違いや魅力というのはどういったところですか?

まず、制作作業の速さが違います。ドラマは全ての作業を速く行う必要があります。例えば映画は2時間の脚本を1本作りますが、ドラマは1時間の脚本を10本作らないといけません。そして、映画がその2時間の脚本を3〜4カ月間で撮影するとすれば、ドラマは同じ期間で10話分撮影します。さらに、撮影の合間には脚本打合せや編集などの作業も行うため、スピード感が全く違います。
また、ドラマ制作の一番面白いところは、作っている最中に視聴者の感想を聞けることです。それが映画と一番違うところでした。当然、良い反応は嬉しいですし、批判には凹むこともありますが、そうしたライブ感に夢中になり、のめり込んで行きました。

最近は『家族狩り』やスカパー!製作の『疫病神シリーズ』とサスペンスやハードボイルドな作品を制作し続けていますが次にやってみたいものは?―

次に作りたいのは、ラブコメです。そのジャンルの作品を観る側として大好きだからなのですが、ただ、僕のセンスで、視聴者や観客の共感を得るには、相当ハードルが高い気がしていますので、今までとは違う脳の使い方をしないといけないかもしれませんね(笑)。
あとは、家族の話を描きたいです。単純に自分の家族が出来たからですが、夫となり、父となると、見える風景や周囲からの見られ方がだいぶ変わるんですよね。ラブコメにしても、ホームドラマにしても、オリジナル作品でやってみたいです。

どのようにそれを実現したいですか?

とにかく良い作品を作り続けていくということが大事でしょうね。そうすることによって、周りから大きな信頼を得られると思います。その大きな信頼を活かして、自分が本当に好きなことだけを詰め込んだ作品にしたいです。
その作品が、僕にとっての『ニュー・シネマ・パラダイス』のように、誰かにとっての「魂が震える」作品がであったらと思っています。

□ 辞めない覚悟

プロデューサーを目指す人へ

何かをやり遂げる覚悟も必要かもしれませんが、僕が一番大事にしているのは「辞めない」覚悟です。辞めないということも、実はすごい才能だと思います。平たくいうと石の上にも三年ということになりますが、辞めないことには努力も必要です。でも、辞めないと決意してそれを実行することで、色々なことが身に付くと思います。これは僕の仕事上のポリシーの一つでもあります。

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